タイラント日記

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キミスイはセカチューになれるのか?読書感想編:【君の膵臓をたべたい】

読了後にこれが著者のデビュー作だったと知りました。すげえね。作風の好き嫌いは別として、デビュー作でこんなの出されたらこりゃすごいとしか言いようがありませんよ。しかも文章も読みやすく世界も分かりやすい。最後まで一気に読ませる力もある。少なくとも僕はこの著者の第二作も確実に読むだろうと思います。

 

物語のあらすじとしてはひょんなことからクラスメイトである山内桜良が余命僅かなことを知ってしまう主人公。表と裏のような性格でクラスの立ち位置もまるで違う2人が、秘密を共有したことで進んでいく青春ストーリー…とまあざっくり言うとこんな感じでしょうか。

 

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最近若者の◯◯離れ、というのがしょっちゅうクローズアップされてます。この◯◯には本も当然含まれている訳ですよ。しかし唯一この若者の本離れに善戦しているというか、歯止めをかけているのがラノベ、いわゆる「ライトノベル」だと個人的には感じております。とは言え何年も前のことですが、以前ちょろっとやっていた本の感想ブログで、某有名ラノベ作家の作品を読了後に「個人的には作風があんま好みじゃなくて正直そんな面白くなかったなー」なんて気軽に書いたが最後。熱烈な信者様の何人かがどこからか嗅ぎつけたようで「お前如き浅薄で下賤なものには分からないと思うけどこの表現にはうんぬんかんぬんエトセトラエトセトラ〜」という心暖まる突撃を受けて以来、感想を書くのはどことなく敬遠するジャンルになっております。うーんハートフル。言うても僕マンガもアニメも気が狂うほど好きですし、そもそも原作小説はとりあえず読んでみるタイプなので偏見無いほうだと思いますけどね。伊藤計劃ヤマグチノボルの夭逝には心を痛めた一人ですし。特に片桐彩子日記あたりはリアルタイムで読んでましたから。ていうかあの頃の個人の日記サイトは、それこそ下手な小説よりよっぽど面白いというか、ぶっちゃけキ◯ガイ多くてカオスだったからめっちゃハマってましたよ。そんなコアな時代であった当時ならともかく、この個人ブログが一般的になり多様化したこの現代でも、「相手が誰であろうと自分の神を侮辱する奴は殺す!」という信仰に似た狂気を抱えた方々は未だに結構いらっしゃる、というをあの時に学びました。いんたーねっとこわい。

 

まったく話がそれたので戻しますが。

今はどうか知りませんけど、当時人気の高いラノベを読むと、けっこう頻繁に物語の特徴として「極めてキュートな女の子の存在」が出てくるんですよ。まあそれはキャラ設定の問題ですし、むこうも商売ですからね。当然ある程度読者に受ける素敵なサムシングが必要になる、というのも理解しておりますがね。性格はもちろん千差万別なんですけど、そのとにかく可愛い魅力的な女の子がなぜかさえない主人公(でも特殊能力を持ってたり血筋が良かったりはする)を無条件を好きになるパターンが大変多いなあ、とね、当時思っとったんですよ。太陽のように明るいヒロインと、無感動主義というか虚無主義の主人公のパターン。特に学校を舞台にしてる物語にはこの傾向が顕著で、テンプレートかっていうぐらい「どうしてこんな友達もいなくて個人主義だから他人に関わってほしくない僕にこんな明るくてかわいらしいクラスでも人気者の女の子がつきまとうのかなあ(ふぅ)」みたいな。こういうのめっちゃ多いな、と。

 

で、この君の膵臓をたべたいがまさにこれなんですよ(笑)。だから最初に読み始めた時は正直「あれ…これやっちゃったかな」と思いました。ぶっちゃけね。どうせお互い好きになっちゃうんでしょ、と。クライマックスは涙の死別シーンなんでしょ、と。結論としては全然そういうテンプレート小説ではなかったんですけど、ある意味予想を上回らない世界設定ではありましたね。でも読み終えてみるとこれは正解だと思いました。この分かりやすい世界設定だからこそ、物語の中での2人のゆらぎに集中できるんです。基本は主人公視点で物語が展開していくので、あくまで桜良の心の動きは想像の部分が多いんですけど、おそらく余分なサイドストーリーも省き、時間の流れにそった本線だけに集中させてくれるこの作りが、本作には非常にあっていたと思います。冒頭に時系列がいじられた描写が出てますが、実際にはある意味そこ以降の物語こそが本作における本番ですから。

心の揺れ動きかたの描き方が素晴らしい

実際当たり前っちゃ当たり前なんですけど、物語が進んでいくと主人公が桜良に好意を持ちはじめるんですよ。そりゃこれだけかわいらしい顔と性格の女子とずっと仲良くしてりゃ若い男子なら好きになっちゃうだろ(笑)的な。ところがここでお互いに淡い好意を持ちつつも、だからどうしたっていう訳じゃないんです。この辺りの曖昧さの表現というか物語の進行が実に素晴らしい。ここで恋仲にしちゃうのは楽だし簡単だと思うんですが、主人公も桜良も年頃の男女にありがちの淡い好意と好奇心からなかなかはみ出していかないんです。桜良は余命僅かという自らの特殊な状況であったり、主人公は他人との繋がりを避ける性格や、普段の自分がおかれている状況から、相手に対して積極的に踏み出そうとはしないんですが、それがすっごく良いんです。中年でおっさんの僕が姪っ子の恋話聞いてニヤニヤしちゃうみたいな。そういうアレですよ。分かるかなこれ(笑)

 

で、そんな微笑ましい物語とは裏腹に、桜良の病状も悪化していってしまうんですが〜…感想ブログなのにこれ以降の展開は正直この本で読んでほしいから書きませんよ!というね(笑)。だって読んでほしいんですよ。正直本を読み慣れた人だったら2時間かからないと思うし、ぜひ最近本を読んでないなーみたいな方にこそ読んでほしい。実際僕は1時間程度で読めましたし。全然さらっと読めるんで。マジで。オススメです。ただ場所は選んだほうが良いかもしれませんね。僕は一人カフェでお茶しながら読んだんですけど、「メール既読」のあたりではもう号泣ですからね。マジでボロボロと泣きました。あれ僕がカフェの店員だったら躊躇なくしますから。通報。カモンポリスマン。良かったですよ通報されないで。セーフ!

すでに映画化する気まんまん?

さて、僕はそこまで原作原理主義ではないので、映画化するなら〜とか妄想するのが大好きなんですよ。もちろん大好きな小説であればあるほど、駄作として映像化された時には鬼のように文句言いますけどね。そしてすでにネットでこの作品に対して、ちらほらと映像化に対する賛成派反対派の意見が見受けられます。本作が話題だからこそとは思いますが、個人的にはこれ映画化不可避だと思ってます。その理由はここ最近の出来が良かった小説作品で、これほど「若い男女の俳優を売り出すのに適した物語は無いんじゃないかな?」ということです。そうなると当然あの小説が比較対象として出てきますよね。世界の中心で、愛をさけぶ。通称セカチューです。若くして死んでしまう魅力的なヒロインというだけで、この作品を思い出してしまう人も多いでしょう。この作品の凄いところは、映画だけではなくドラマ化もされ、なおかつ両方とも出演した若い主要キャスト達がこの後役者としてステップアップしているという、ある意味伝説的な作品でもあります。実際出版社がこの作品をキミスイって略して宣伝してる時点で、個人的には99%セカチューを意識してると思うんですけどね。どうなんでしょう。キミスイ。セカチュー。ねえ? どうなんだろう。映画化するんじゃないかなー。誰キャスティングするのかなー。…あ、なんかこれ面白そうなんでちょっと別にして書きますね(笑)