タイラント日記

映画や小説について書きたくなった時だけ書きます

劇場版寄生獣の改変にやや角度の違うツッコミがはいった件

noday.hatenablog.com

 

日劇場版寄生獣完結編を観賞した後、上記のようなエントリーを一本書いたのですが、最近本編内のあるシーンについて、現役放射線科医のPKAさんから問題点について提言され、それがネットで話題になっていました。その該当ツイートが下記になります。

 

 

詳しい内容は是非読んで頂くとして、簡単にまとめると「ラストの後藤との対決シーンで、彼を倒す直接的原因となる物質の扱いについての科学考証には大きな問題があり、この破綻は放置するには致命的なのでどうにかできないか?」という内容であり、非常に興味深いツイートでした。このツイートを読んで思ったこと、ラストシーンの改変についてなど、僕なりに考えたことを少し書きたいなと思ったので、再び劇場版寄生獣について触れてみます。

 

(ちなみに文末に「他人様の作品に対してこうすべきではなかったなどという不躾さはよくわかっております」とあって、それがまさになぜ寄生獣ファンである僕は映画版寄生獣では満足出来なかったのかで僕が書いたエントリーがそのまま刺される文言だったので鼻からコーヒー吹きましたが、プロという存在とその製作物に対する僕なりの持論もありますのでこの辺りはそのうち別に書けたらいいなと思ってます)

 

※このエントリーは物語の結末に触れるネタバレも含んでおりますので、映画未見の方は観賞後の閲覧をオススメします。

 

まず、作品内での後藤との対決シーンについてですが、この棒に付着した有害物質の改変について、当然ですが僕も映画を観ながら気づいていました。正直「陳腐な改変したもんだなー」とは思いましたが、それはPKAさんが提言したような「放射性物質の性質と映画内での取り扱いにおいて致命的な矛盾に気づいた」等という高尚なレベルの話ではなく、ぶっちゃけて言えば「うわー放射性物質かー。話題作りっぽいなー。時事の流行に乗っかっちゃったのかなー」と思った程度でした。もちろんこれは邪推であり、失礼であることぐらいは想像がつく歳ですので、エントリー内では特に触れず、唐突さと説明不足が目立っていたと書くに留まりました。

 

そもそも身も蓋もない話ですが、映画(特に邦画)において現実で有り得ないような事件や展開など、今更とりあげるまでもなく日常茶飯事です。例えば僕はスポーツ観戦が大好きですが、スポーツを題材にしたドラマや映画で、観ているだけで憤死しそうな展開など掃いて捨てるほど観てきました。別に題材をスポーツに限らなくても、何度読み返したか分からないほど大好きな原作小説が、実写化によってトンデモ作品にされてしまったことも、手の指だけじゃなく足の指を使っても数えきれない程あります。そういった酷い改変が繰り返されてきた歴史がありますので、ある程度映画を見慣れている人というのは、改変に対してある種の耐性(諦観とも言う)が備わっています。ゆえにこの問題のシーンも、PKAさんのような科学的知識を有した方達がひっかかった以外は、僕のようなそこに至るまでの改変によほどひっかかっていた人か、もしくは原作未読の為それほど気にしなかった人が殆どだったのではないでしょうか。

 

しかし「放射能」というキーワードが絡むことで、問題は映画を観ている人達だけの話ではなくなってしまいました。現在の日本において、放射能について全く無関心でいられる層はかなり少数でしょう。メンタルが強靭すぎる人でも無い限り、あの311以降に放射能というキーワードが心に引っかかってない日本人はいません。だからこそ劇場版寄生獣において、監督が物語のキーワードとなる有害物質をダイオキシンから放射性物質に変更したのかもしれません。多くの日本人が持っている不安に訴えかける要素として、それを選んだとしてもおかしなことではないでしょう。しかし「その性質についての解釈が物語を破綻させるほどの勘違いをしている」となればこれはもう単純に失態です。物語本筋ではなく単純な事実誤認で波紋を呼んでしまったこと。この一点はある意味この映画において一番の大失態と言えるでしょう。

 

逆に言えば今回の話はある意味で単純で、「放射能という現在の日本にとって非常にナーバスな要素」であるがゆえに大きな問題になったのです。物語のテーマがSFであり、その名の通り「フィクションではあるがサイエンスという現実もベースになっている物語」であることや、「多くのファンを抱える人気漫画が原作である」ことも多少問題を複雑にする要因ですが、最も根が深く、最も注目されている原因はそれが「放射能」だったこと。この一点です。

 

少し別の角度で想像してみます。例えば日本の漫画史上において屈指の人気作であるスラムダンク。この人気作が遂に実写映画化されたとしましょう。しかし映画としての盛り上がりを目指した監督の独自解釈により、山王戦での花道の最後のシュートがスラムダンクに変更されました。さあどうなるでしょうか。おそらく日本だけではなく海外ファンからも強烈な非難を受け、日本映画史上最大の炎上劇が繰り広げられるでしょう。日本だけでなくアジアでも屈指の人気漫画で巨大ファン層をもつ同作品でそんな改変を行えば、大炎上することはそれこそ火を見るより明らかです。しかしこの問題が社会的論争になるか?となると話はちょっと変わります。というか、社会的論争に発展することは無いでしょう。

 

なぜなら「ラストのシュートがジャンプシュートでなくなる問題」はあくまでファンだけの問題だからです。身も蓋もない言い方をすれば、スラムダンクファン以外からは「ダンクでもジャンプシュートでも同じ二点なら別にいいんじゃないの?」と言われても驚きません。原作において、直前の合宿で死ぬ程練習したジャンプシュートを一方的に敵視していたけどいまいち相手にされてなかった流川からのラストパスをもらってシュートを決める、という流れがあったからこそ感動の増すシーンですが、この練習部分を削除してしまえば、ストーリーだけで言えばそこまで不自然ではなくなります。製作者側からは「むしろ見た目的なインパクトはスラムダンクのほうがあるから変えて良かったでしょ?」的な意見すら出るでしょうね。手に取るように想像がつきますよ。奴らはそれぐらい余裕でやってのけます。そしてファンが怒るのです。激怒です。長年大事にしてきたものがビジネスという名の主義思想によって踏みにじられ、血の涙を流さんばかりに抗議するのです。多分ネットで殺人予告とか飛び出ると思います。マジにあかんやつで。

 

ただ、そこまで論争が発展したとしても、あくまでもそれは「ファン内での論争」にすぎないでしょう。悲しい話ですが、この程度の改変はもう散々やられてきているのです。そのたびにファンは怒り、悲しみ、歯ぎしりしながら「この恨みは絶対忘れないぞ!」と現実やネットで憤りをぶちまけてきた歴史があるのです。怖いですね。恐ろしいですね。ちなみに僕もいまだにデビルマンを台無しにされた恨みは1mmも忘れていませんけどね。ぜったいゆるさないぞ。

 

しかしここまで書いておいて何ですが、映像化における原作の改変について、「全てを認める訳ではないが頭から否定をすることもしない」というのが僕の基本的スタンスです。どんなに納得いかない改変だったとしても、監督が独自の解釈と信念をもって改変したのであれば、それが自分にとって多少不愉快だったり納得がいかなくても割と受けいれるほうだと思っています。しかし単なる行き当たりばったりでどうしようもない改変だったり、今回のようにナーヴァスな問題でしかも間違った解釈に基づいているとなれば話は別。面倒な事に触れるな、という訳ではありません。面倒な事に触れるのであればもっと厳格に突き詰め向き合うべきだ、と考えています。今回は製作陣にとって単純な事実誤認なのだから、それを生業とする側として、しっかり修正するのが本来の筋だと思います。ですので結論としては僕もPKAさんの意見に賛成です。東宝にはぜひお金をかけてでも、この問題の解決に立ち向かって頂きたいです。

 

追記

…とここまで勢いよく書いてきましたが、この問題に具体的な対応をしてもらえることはおそらく無いんじゃないかな…というのも正直な気持ちですけどね。この問題の部分を修正するということは、お金にならないどころか誰かがババをひき、その上で予算を組まなければ解決できない問題でしょう。それをやってくれる人って…いるんですかね…。映画製作に関して完全素人の僕ですら、それがキャリアにマイナスになりそうなことぐらい想像つきますからね…。きっちり修正してくれることを祈ってはおりますが、無理だろうなあという諦観の気持ちは正直否めません。こういう部分にもきっちりお金かけて修正してくれる様な業界であれば、今後の人気漫画や名作小説の実写化にはもう少し希望が持てるんですが…。この後どんな展開になるか。注目したいと思います。